この世の中には、誰が見ても美しいようなものがある。たとえば、国宝になってるような仏像彫刻や絵画、陶器なんかがそうだな・・・日本だけに限らず、人間の美意識に訴えかけるような普遍的な美しいものは、東洋西洋にたくさんある。
そのようなものから、僕は美術を学んできたように思っていたのだけれども、最近それだけではないところのもの、そっちのほうからの影響が自分にとっては重要なのではないかと、だんだん思うようになってきた。
それは『想い入れ』のようなもので、たとえばビール会社が販売促進に配るような、どこにでもあるビール会社のロゴ入りのコップ。ずっと使っていたそれは、どんなに美的に優れているようなコップよりも、自分にとっては大切なものだ。子どもの頃からずっと使っていた、キャラクターが印刷された小さい御茶碗もそうだ。思い出が詰まった自分史における自分の国の国宝。
ある種、普遍的な美とは違うところに位置してはいるのだろうけれど、物理的な形ではない個人所有の美しさ。誰しもが、そのようなものを持っているに違いない。
それは、ものでないかもしれない。あの日、あの時見た風景かもしれないし、誰かが言った生の言葉、感動して落ちた涙の染みがある書物の1ページかもしれない。
みんなが欲しがる有名ブランドの服よりも、子のためを想いつつ、バーゲンセールの山積みから母が選んだ安物のシャツ。そんなものの、いや、そんな母の気持ちがデザインやブランドよりも自分にとっていかに大切かって、今更ながらにわかったのだ。
そんなふうに自分の外においては価値観が定まらないような想い、ではあるのだろうけれども、そんな想いをオーディエンスと共有できるような気がして、自分は絵を描いている節がある・・・ことに気づいた。
人間が感じている普遍的な美的なもの、それと個人が感じる想い入れ、それらがうまい具合にくっついたら、静かに心に訴えかける素晴らしいものが出来るんだろうけどなぁ・・・