2007年5月2日の日記を読み返す・・・
2007/05/02
何年も描くことに生活を費やしてきた者よりも、昨日衝動的に筆を握って絵を描いてしまった者のほうが、よりリアリティを持つことだってある。
言わば僕のデヴューの評価は一般的には後者だろうが、現在の自分は前者なのだ。
パンクロックのようなスピリットで駆け抜けた90年代。
刹那の衝動を絵にすることで描く画家の命が長いわけはない。
衝動の力が弱くなってしまった後は、絵画の根本的な謎の解明に日々を費やしていくわけだ・・・
そこに生まれる喜びは、発露する気持ちよさではなく、理解する快感なのだろうか。
衝動から離れて、考えながら絵を描く・・・
「考えたらおしまい!」と、大竹(伸郎)さんは言ったっけ。
エゴン・シーレにカート・コバーン・・・
若くしてこの世を去った彼らは、歴史的にみれば幸せかもしれない。
初期衝動を保ち続けることは難しいし、出来っこない。
継続すること、それ自体が説得力を持ちはするけど、そこから飛び出せはしない!
さぁ!どうする?
俺は考えるぜ!
頭抱えて考えまくる!
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2007年の今日に思ったこと・・・それは何も変わらず、2011年の今日思ったことだ。
確かなインスピレーションで描きあげた絵は、良い悪いを越えて画面から何かを放っている。
そんな絵を描けなくなって4年以上経つ・・・ということか。
イメージ自体の強さよりも、同じような構図に絵画的な色作りで描いている・・・ということだ。
自分にとってのドローイングのように、刹那的に封じ込めるような線をひくことさえ、今は難しく感じている。
それでも、このまま絵画的なルールで、ゴールのある苦しみ方をして絵を描くのは嫌だ。
セラミックで、粘土で、やれたようなことを絵でもやるのだ!
考えずにやるのだ!
・・・と、思ったんだけど、そう思った時に、やっぱ大竹さんと年の差ぶんの時差があった!