ホテルの前で全員集合!・・・って、竹井さんとは部屋が同じなんだけどね。今日も朝から快晴で、けっこう楽しみにしてた小学校を見学に行くのだ。
小学校への道、どんなに街をぐるぐる回っても、いつも路上は新しい発見に満ち溢れている。そして何度同じ場所を通っても、同じ風景はないのだ。というわけで、いつでも好奇心一杯に眼を開く。どんなところでも楽しみを見つけられる人になりたいもんだ。
小学校到着。平屋の校舎が3棟で、中庭のテントにも教室が2つ。もちろん廊下や玄関があるわけではなく、外から各教室に入るのだ。まずは、テントのちっちゃい男の子クラスに忍び込む・・・つもりがバレバレで、みんなこっちを見て立ち上がり挨拶された・・・。先生はちょっと大きな上級生で、察するところ読み書き初心者クラス。教科書が痛まないようにビニール袋を改良したブックカヴァーをみんなつけている。そうだ、僕が小学校の時も、学年が変わるたびに母親がデパートの包装紙でカヴァーを作ってくれたっけ。でも、ここでは教科書はきっとリサイクルされて下の学年に渡されるからだろう、と勝手に思う。男の子クラスは6つで、女の子クラスは3つ。女の子クラスには子守りなのか小さい弟を連れてきてる子もいる。この弟は、門前の小僧よろしく、早く読み書きができるようになるだろう。
先生は男女半々くらいで、生徒はみんなちゃんとおとなしく授業を受けている。カメラのファインダーをのぞき、いい感じに撮れそうだと思うと必ず教頭先生が視界にあらわれる。教室を移動してもついてきて、必ずファインダーにあらわれるので、笑ってしまう。しばらく撮影してたら校長室でお茶しましょうと言われて、「おじゃまします」。教育制度や援助のようすなんかを聞く。そしてまた教室へ。
2時間30分ぶっ続けの授業が終わって、みんな外に整列。小さい子クラスからみんな2列で手をつないで校門を出て行く。ここでは2時間30分で1日の授業が終わるのだけど、入れ替え制なので次の授業を受ける生徒たちが校門の外で待っている。1日に3回授業を行うそうだ。1日2時間30分の授業を終えた後は、みんな家の手伝いかなぁ・・・。と思ってたら、次の授業を受ける生徒たちが先生や僕らに挨拶しながら校門から入ってきた。「サラーム」と言ってるんだと思うけど「サラッ」と聞こえてかわいい。


授業が始まり、みんなやっぱり真剣に黒板と教科書を交互に見つめ、質問にはパーではなく、一番!というふうに人差し指だけ伸ばしたグーで手をあげる。いっせいに手があがる様子は気持ちいい。なんとなく質問も言葉もわからないのに一緒にあげてみる。
昼飯を食おうということで、小学校を後にして食堂を探す。
今日の食堂は家庭料理的な感じの店で、マントウがあるではないか!餃子と肉まんのハーフというかんじで、ちょこっとヨーグルトのタレがかかっている。そしてオクラの煮込み。サラダとナン。ずっとケバブやカレーばっかしだったから、このマントウの美味いこと。
腹一杯で今度は女子高を目指して車は進む・・・が、途中にあるパキスタンから戻った難民のキャンプがあるというので寄ることにした。
ラヒムがキャンプの人に交渉したら快くOKが出たので、テント小屋を訪問する。ザルを作ってるおじさんに、鳥かごを編むおじさん、各テントで職種が違う。そして子供たちはやっぱりすぐに集合して後を付いてきて、レンズの向けられるところに群がる・・・ので、フェイント攻撃で被写体を撮るしかない!川内さんのカメラは2眼レフなので、撮影者の顔の向きとレンズの向きにズレがあり群がりの標的になりにくく、淡々といつものように撮っている・・・心の中で今度来る時は俺も2眼レフだ!と痛切に思う・・・2眼レフ、持ってないけど。でも、子供たちと遊ぶのは楽しい。この国の子供たちがこんなにも元気なのは、飢饉で食べ物がないのとは違うのだ。今まで自由がなかっただけなのだ。雪国の長い冬が終わり春が来て、僕らが長靴脱いで運動靴で外に飛び出すような、そんな嬉しさで一杯なのだろう。もっともこの国の冬はあまりにも長かったけども。
そろそろ女子高に行こうと子供たちに別れを告げて握手する。と、握った手をはなしてくれない、つうか僕の手を何人もの子供たちがにぎっている・・・。そして少しづつ僕は引っ張られていく・・・。
やっと車に乗ってドアを閉めると、竹井さんたちに「ハーメルンの笛吹き男」と呼ばれて笑われる、けど悪い気はしない。走って追ってくる子供たちに手を振りながら、昨日のハザラの子たちもそうだったけど、また会える!と思う。一期一会という言葉があるけれど、僕は反対で「また会おう、また会える」とほんとうに思って彼らに接する。しかし彼らの名前を全て覚えられるわけもなく、ひとりちょっとだけ悲しくなるが、彼らはきっと明日も笑顔で走り回っているはずだ。そしてふと、生きているうちにこの国で展覧会ができたらと思い・・・その時は今回撮った写真も一緒に展示するんだ。
女子高は、校門で所持品の検査をしてから中に入る。小学校もそうだったけど、かならず自動小銃を持った警備が一人ついている。この国は旅行者にとっては確実に安全性が高いと思うが、住人にとってはそうではない。つまり、いつまた民族間のいざこざが起きるかわからないという恐れがあるのだ。ナポリのバザールのようなスリもいないし、アメリカの大都市の裏路地のような危険もない。インドのような物乞いもいない。彼らの抱く不安や恐れは旅行者にはわかりづらい。窃盗や恐喝や痴話げんかによる殺人ではなく、一度始まったら全てを巻き込んでもっと大きな流れになってしまう戦争というものの脅威。やっぱり僕にはわかりづらく、旅行者の自分があまりにも能天気な気がしてきてちょっと落ち込む。
さて、女子高は彼女たちの年齢が高いため(といっても高校生なんだけど)撮影禁止!とのことだけど、撮られたくない人だけ少し外に出てもらって、なんとか撮らせてもらう。ここは制服が決まっているらしく、みんな黒い服に白いショールで修道院のよう。校舎はここも平屋で3棟、中庭を囲むように建っていて、それぞれの教室の入り口があるのだが、窓ガラスがない教室もある。小学校でもそうだったのだけど、ほとんどの生徒が鉛筆を1本しか持っていない。しかし、常に必要なのは1本であり、よく考えると鉛筆1本と鉛筆削りに消しゴムで筆記用具は足りるのだ。清貧という言葉が脳裏を一瞬横切ったけども、それとも違う。貧しいという言葉はあてはまらないだろう。しいていうと質素か・・・?。さすが高校だけあってみんな賢そうな瞳をしているし、意思はもちろん強そうだ。女の子が高校へ行くと言うのは戦前の日本のようにとても困難なことなのだろうが、みんなそれを乗り越えてきた顔をしている。写真を撮られるのが嫌で外に出た生徒たちも、見るぶんには静かに笑ったりしている。

タリバンが政権を支配していた頃、彼女たちは学ぶことができず、やっと学べるようになったのに、こんな外国人がこうして訪れ始めたら勉学に集中できないだろうに・・・と反省しつつ月給わずか50ドルだという校長先生のおばさんに礼を言って校門を出る。そしてこの3日間ガイドをしてくれたラヒムの家に呼ばれることにする・・・つうか行きたいって言ったのはこっちなんだけど。
彼の家はカブールから小さな山を越えた車で1時間程の小さな村にあった。そこに住んで6ヶ月、最初の2ヶ月は村で先生をしていたと言い、道すがら元生徒の女の子3人組みが彼に「先生こんにちわ」と挨拶して通り過ぎた。英語が多少話せる彼は内戦中はイスラマバードで働いていたという。土塀に囲まれたアフガニスタンの普通の家で、6畳ほどの居間にとおされ、お茶とお菓子がでてきた。お茶を飲みながら、彼の子供や、弟や甥っ子たちと、やっぱり男と子供しか来客には接しないのかと、ちょっと残念で、女の人たちは違う部屋にいるとのこと、いろいろ語り合って、そういえばこの家にもテレビはないなと思ったら、きれいな布をかぶったCDラジカセを発見。しばらくして、中庭に出て写真を撮りだしたら、女部屋の窓からみんなこっちを見ている。でも、気づかないふり、というか眼を合わさずに鶏なんかを撮ったりしてみる。そうしているうちにラヒムたちも外に出てきて、いつの間にか彼のおかあさんが登場し、女の人たちも出てきた!そしてみんなで記念撮影。ラヒムの母65才で、まだまだ元気。この国の平均寿命は43、4才だけど、それは乳幼児の異常な死亡率にあるわけで、お年寄りはいっぱいいて、しかもみんな元気そうな顔をしている。
ラヒムの家近くを散歩すると、なぜか母の実家を思い出した。これくらいの部落で、墓地が村はずれにあって、鶏が外にいて、みんなが電話を借りる小さなヨロズ屋が1軒あって、畑が野菜で緑色で、どっかの家におっきな豚がいて・・・そういえば、僕が物心ついた頃、まだテレビは家にはなくて、新聞もとってなくて西弘前駅の売店に時々買いにいかされたっけ、その頃はまだ近くに家もまばらで、駅も木造のちっぽけな駅で、僕は豆腐を買いにアルミのボウルを持って走ったっけ、電話は隣の家で借りていたし、兄貴たちの小さな頃の写真を見れば洋服なんか着てなくて着物だったし、そういえば母方の爺婆はまともに字は読めなかったし、母が女学校に行きたいと言った時、いい顔しなかったそうだし、でもその爺も婆も僕にとっては尊敬できるお年寄りで・・・僕は大好きだったなぁ。アフガニスタン、この国に来て、いやパキスタンもそうだったけど、家族というものがちゃんと存在していることの大事さを実感した。貧しくても家族の絆がしっかりしていて、向こう三軒両隣で、なんていうか・・・いいんだよ。いいんだよ。いいんだよ~。
結局、物がたくさんあるとか関係ないんだね。最低限の物があって、人と人との絆があれば、それで幸せに暮らしていけんだよね。今更ながら人の絆や友情、家族愛の大切さを実感しかみしめる・・・僕にも友情ある友人たちがいて、いつまでも僕が三男の家族がいる。
でこぼこの道を揺られてホテルに戻り、シャワーを浴びてホテルのレストランで夕食。この3人でとる食事も今晩で最後、明日は4時30分にはカブールを出発だ。川内さんはパキスタンで作ったイスラム服でキメていてカッコイイぞ。しかし、メニューはほとんどおしまいで、ジャガイモの煮っ転がしとサラダとナン・・・でも、ウェイターが闇市にビールを買いに行ってくれてアフガン最後の夜に「乾杯~!」
ジャガイモの煮っ転がしでかなり満腹になり、部屋に戻ったら即睡魔が襲い就寝・・・アフガン最後の夜におやすみ!

