• 9月27日

    朝早く起きて、ホテルの庭でひとり一服。庭師のおじさんに挨拶して、なんとなく庭師小屋に遊びに行く。おじさん4人で住んでるみたいで、外でおじさん1がじゃがいもの皮を剥いている。中ではお粥が鍋でぐつぐつ煮えたってて、おじさん2があわててかき混ぜる。肉をこね始めたおじさん3が笑う。炊事は薪なので壁はススで真っ黒、窓辺に置かれた林檎が朝の光の中きれいだ。行ったことはないけどマタギ小屋ってこんなかんじかなぁ。年長のおじさん4は外の椅子に腰掛けて日向ぼっこしている。色とりどりの花咲く花壇の前でみんなを撮る。日本に帰ったら写真を送ろうと住所を聞くけど、みんな字が書けなくて、日本語で彼らの名前を書き取る。後で誰かにローマ字にしてもらおう。

    今日は金曜日、イスラム教では安息日なのであんまり店はやってないよ、と言われつつも一応バザールに行ってみる。

    それでもバザールの人出は多く、店もけっこう開いている。そして、なんといっても今日は結婚式日和!もう何台もの花とリボンに彩られた車とすれ違う。街で造花屋さんを異常に見るのだけど、そうか、今この町は結婚ブーム?花車の後を新郎新婦の一族が数台のタクシーに分乗して追っかけて走っていく。

    タクシーは人口70万人のカブールになんと4万台。ほとんど中古車で、50年代のアメ車まで走ってる。タクシーは黄色の車体にドアが白、日本から輸入した車も多くて「株式会社フクスイ」とかのロゴはそのままになっている。なんでも、日本語はそのまま残すのがカッコイイらしい。それにしても「せんねん幼稚園」「千葉分店」「寺沢商店」・・・と、日本語ロゴ大流行。カブール郊外にたくさんの中古車屋さんが集中している。

    町の中心の大きなバザールは川の両脇に屋台風のいろんな日常雑貨店がずらりと並び、川原にはシートを天蓋にした布屋がやっぱりずらり。川べりの小さな堤防を橋の脇の階段らしきものから降りて、布屋さん街?に入ると、天蓋を支える棒や店々をしきる布、迷路のような空間だ。もちろん今日は基本的には休みなので、ところどころ空っぽの店もあるけども人はたくさんいて、通路は人一人がすれ違うのがやっと。さっき川の上のほうで会った妙に人懐っこいハザラ人の子とばったり会って、なんだかお互い嬉しくなり「お~!」という感じで、竹井さんに1枚撮ってもらう。

    おみやげ屋さんが並ぶ通りに行ってみようと新市街に向かう、この周辺では砲弾戦がなかったのか、銃弾の後を時々発見するのみ。また僕らが見慣れている普通の店舗も多い。というかこの町にきて初めて見るかも・・・。しかし、電気の供給は不充分らしく、それぞれの店舗の前にはガソリン式の発電機がうなっている。

    郊外には中古車屋さんや材木屋さんが集中して製材を待っているたくさんの丸太(といっても直径20~30cm)が、皮だけ剥いだ状態で何百本も立てかけられている。製材は大きな工場があるわけではなく貨物用のコンテナを利用した製材から窓枠やドアを作る個人の店がたくさん並んでいる。一般の家屋でも、このコンテナの扉だけを利用して玄関にしているところも多い。駄菓子屋とか自転車屋、八百屋とかでも繁華街以外では、このコンテナ店を多く見かける。内戦で壊れなかった店はふつうの店構えだけども、だいたいは日本の学園祭で見受けられるような模擬店というかんじなのだ。その材料はなんかの木箱を解体したものだったりするし、そういう店に看板はない。そういえばバザールのテントがけっこうユニセフ・シートだったりするし、再利用精神には尊敬するべきものがある。街は埃っぽいが、ゴミはなく、もちろん過剰な包装もあるわけなく、いろんなプラスティックのボトルやタンクは井戸から水を汲んで家に運ぶために使われている。

    肉屋さんの前で山羊が解体されている。腹から内臓がひきぬかれ、大きな洗面器に血がなみなみと溜まっている。子供たちがそれを見ている。かなりアップで撮ったつもりだったけど、川内さんはさらにレンズが触れるくらいにして撮っている。彼女の写真作品を見て思うのは、一般的にきれいだと思われているものもそうでないものも、彼女の美意識でかなり平等にとらえることができるということだ。それは言葉ではやっぱり表現が難しい「きわめて曖昧な感じ」というものを確実に具現化する。うらやましく、素晴らしい。にわとりを絞めている光景もよく見るが、小さい頃に母が家の裏でにわとりの羽とかむしってたのを思い出した。今の日本の子はパック詰めの加工食品しかしらないから、こういうの見るとショック受けるんだろうな。

    3時過ぎ、成田からパキスタン行きの機内で一緒だった厚がプロレスをやるというので一応観に行こうと会場へ向かうが、ところどころ気になる場所で車を止めては撮影。この町で初めて看板屋さんらしきものを発見して、のぞいてみると、青年がひとり木枠を組んでその上にトタン板を打ち付けているところだ。この店も四畳半くらいの模擬店風で、奥の棚に油絵と思われる肖像画が1枚立てかけられていて、その脇に紙に描かれたペルシャの伝統的な絵。「僕も絵を描くんだよ」とゼスチャーで言って、紙と鉛筆をもらって彼の顔を描いてみる。久しぶりのアカデミック素描だけど、できた絵を見せたら急になかよしモード。なんかもっとコミュニケーションしたくなるが、みんなを待たせては悪いと硬い握手を交わして車へもどる。

    さて、大仁田プロレスの会場は周りになんにもない原っぱの中の建物で、門のは警備がいて一般の人は入れない。この建物では普段カンフー教室をやっているとのことだが、門のところに旧オームらしき印刷物が・・・。平屋のバスケットコートほどの建物に入ると200人くらいの子供たちが試合開始を今や遅しと待ち構えている。でも、報道陣は日本人のみだし、この招待された子以外はこの試合のことなんて知らないんだ。試合はいわゆる日本で観るプロレスというよりは仮面ライダーショウ的。それでも子供たちは目を輝かせて観ている。もっと広い場所でもっとたくさんの人に見せられなかったのかと関係者に聞くと「最初は20人くらいの招待でいいのでは、と外務省から言われ、それでもやっと200人になった」とのこと・・・ふ~ん、そうですか・・・

    プロレス会場を足早に去り、ハザラ人が多く住む地区で停車。一人でどんどん迷路のような路地に入り込んでいくと、最初は3、4人だった子供がいつのまにか20人くらいになっている!ハザラ語かペルシャ語かなんかわからない言葉に僕の日本語で、わかのわからないコミュニケーション。足をすべらして転ぶまねが、受ける受ける。もうコマネチ!シェー!なんでもありだ!くたくたになって最後にみんなで記念撮影。かなりの単独行動だったので、子供たちにさよなら言って車の待つ通りへ急いで戻る。しかしやっぱり彼らは付いてきて、しかも「な~ら!な~ら!」と僕の名を大合唱・・・。通りで竹井さんたちが近づいて来るこの集団に驚いている。ガイドのラヒムが目を丸くしている。

    ハザラ人はモンゴル帝国時代にやってきてバーミアーン地域に定住した民族で、容姿は日本人と全くと言っていいほど変わらず、僕にとっては親しみやすい。この国の国民構成はアーリア系でパキスタン、アフガニスタン両国に生活していたが1880年の英国統治で分断されたパシュトゥーン人38%、イラン人と同じペルシャ系のタジク人25%、モンゴル系のハザラ人19%、古い時代のモンゴル系、トルコ系両遊牧民族の混合支族であるウズベク人が9%。その他にトルクメン人、アイマク人などがいる。

    町を少し離れて涸れた川沿いの山道を進みカブール郊外のダムを目指す。途中の山間に戦車や装甲車が放置されたままになっている。ダムは立派なもので基本的にはかなりの発電力を持つものなのだろうが、ここ2、3年の渇水もあってか水位が異常に低い。現時点での貯水量は本来の100分の1にも満たないとおもわれる。「10年前はあそこまで水があった」ラヒムが指差した先ははるか彼方だった。

    ダム脇のピクニックのようにカーペットを広げただけのお茶屋さんで一服。

    帰り道、検問があって回り道しろと言われたがラヒムが「インターコンチネンタルホテルに客を送っていくのだ」と嘘をつき通過。カブール市内はもう夜で薄暗くなり、家々にランプの灯がともり、道路沿いの溶接屋さんのガス溶接の火花が光る。

    カブールホテルに戻ってシャワーを浴びる。昨日もそうだったけど、1日外に出ているとまるでラグビーの試合をした後のように髪がごわごわだ。そしてシャワーは途中から水になっていく・・・・。

    看板屋さんは、識字率の増加や商店街の復興に伴い需要が増えるだろう!看板屋サダフ、もうすぐ君の店はもっと忙しくなるはずだよ!
    そして庭師のおじさん、M.Zaid、 Rahmatulla、 Jilani よ、日本からの写真を待て!・・・と思いつつ、郵便事情はどうなってるんかな?届くんかな?