• 9月29日

    4時起床。外はあたりまえだけど、まだ暗い・・・

    4時30分、チャーターした車でカブールホテルを出発。ガイドのラヒムはもういない。でも3日間一緒だった運転手で、とにかく出発だ。

    真っ暗な夜明け前のカブールを車で飛ばす。闇の中カブールはどんどん遠ざかっていく。

    カブールからジャララバードまでの道のりは、内戦の爆撃で穴だらけの道路で、内臓がでんぐり返りそう。でも陸路を通れること自体素晴らしいと思う。窓の外が少しづつ明るくなって、左側に川が見え始める。川の側は緑が豊かで、かつて王様が統治してた頃の国の豊かさをほうふつさせる。緑色の葉緑素を持つ植物は偉大だ。岩山に囲まれた谷間の一本道、穴ぼこを右に左によけながら、国境の町ジャララバードを目指して車は走る。見上げる山々のてっぺん付近に朝日があたってオレンジ色だ。

    朝日がようやくでこぼこ道にもそそぎはじめ、ジャララバードに着く。そして御飯タイム。かつての隊商が訪れたような飯屋で食い、地雷原を目指す。

    地雷の撤去作業はアフガン人によって行われていて、地雷原の傍にはきれいな小川が流れていて、ちいさな魚が泳ぎ、トンボが飛び交う。地雷さえ考えなければ、とても平和な光景だ。いつの間にかサングラスを紛失してしまった!けど、ここで探す勇気無し・・・

    地雷原地帯を過ぎて、道は急に良くなり、一路国境を目指してカイバル峠を車は進む。

    ついにやって来た国境のトルカン・ボーダー。Welcome to Pakistan の標識にアフガニスタンを去ったんだなぁという気持ち。カブールでの3日間運転してくれたおっちゃんに握手してさよならを言って、パキスタン入国すれば、既に旅行社に頼んでおいたイスラマバードまでの車が待っていた。パキスタン入国の手続きをすませ車に乗り込むと、トライバルエリアを通過していくため銃を持った護衛が一人乗り込んできた。とび色の眼をした、いかにも強そうな若者でたのもしいデス。
    カイバル峠はこの辺一体の広大な山岳エリアで、僕らは今あの三蔵法師やアレキサンダー大王が通った道と同じ道を進んでいる。そして、峠を越えて下り坂にはいった時、ぱっと眼前に開けたV字の谷間の向こう、ペシャワールの町が淡くかすんで見えた。くねくねと下へ伸びていくこの道はあの町へ続いている。この風景は三蔵法師も見たに違いない。

    カブールを出てからイスラマバードまで約10時間、車に揺られてあの懐かしいイスラマバードのゲストハウスにたどり着く。そして晩御飯を頼んで、出てきたのはおにぎりじゃないかぁ!がつがつと食い、味噌汁をぐっと飲む。今回の旅で、日パ旅行社にはほんとにお世話になりました。ありがとう。

    そして、おにぎりを腹いっぱい食った後でイスラマバード空港へ向かう・・・。

    夜11時過ぎ、パキスタン航空の北京経由成田行きはゆっくりと飛び立った。

    足掛けたった4日間のアフガニスタンだったけれど、得たものは大きかった。そして、また絶対来るぞという想いをかみ締めつつ日本まで少し眠ろうと思う・・・・

    農作物栽培可耕地 日本4万4千226平方Km アフガン8万848平方Km

    主食である小麦の消費量、一人あたり年間132.52kg 月11kg (’98データ)

    出生率 日本9.5% アフガン49.7% (’94、’97データ)

    乳児死亡率(1歳未満が1000人中に死亡する値) 日本3.8% アフガン163.4% (’94、’97データ)

    ちなみに エチアピア119.2% アンゴラ124.2% カンボジア115.7%と、長い戦火にある国は乳児死亡率が異常に高い。

    アフガニスタン隣国のタジキスタンは43.4%とアフガニスタンに比べると4分の1弱。

     

    平均寿命 日本 男77才 女83.5才 アフガン 男43才 女44才 (’94、’96、’97データ)

    識字率 日本 男99.9% 女99.7% アフガン 男51.0% 女20.8% (’94データ)

    鉄道は無い、が道路は経済データに比べると山岳地帯を含め異常に発達している。

    アリアナ航空は米空爆で航空機が攻撃対象となりすべて破壊され現在自国には航空会社はない。