吉本隆明さんに会う。
小雨の中、お寺の角を曲がると彼の家。
会うということは今更ながら、とても大事なのだと思う。
実際に面と向かうことは大切だと実感する。
僕にとっての知の巨人は普通のおじいさんで、
まるで僕のおじいさんのようで、
学は無くても、あの尊敬してやまず、大好きだった僕のおじいさんを思い出す。
全ての話しが、こそばゆいくらいの懐かしさというか、これが人と話すことなんだ!と思う感動がある。
しかし、僕のレベルに合わせて話してくれたのだろうかなぁ。
というか、肉体的な老いの話以外、全て対等に接してくれる人だった。
書物でいくら知っていても、実際の彼の口から言葉が出てくるんだ。
僕のおじいさんが逝ってしまう前に、僕はもっともっと話したかった、聞きたかった。
吉本さんの言葉は、まるで僕のおじいさんが乗り移ったかのように耳に入ってきた。
でも、なんか同級生の女の子の家に行った感じもあったなぁ。
ばななさんのお母さんとおねえさんにも会った!
猫もいた!
そしてやっぱり、みんなばななさんに似ていた。
吉本家を後にして、お父さんのお墓が近所だというのでお参りする小山さんに付いてって一緒にお参り。
吉本さんや鶴見さんにしても、ただ絵を描いてきたということで彼らに会える機会があったということに感謝せずにはいれない。
そう、絵に感謝。
嗚呼、なにかおおきなものに包まれたい!と思うことがある。
柔らかくて、とても優しいものに包まれたい!と思う時がある。
でも、見渡せば、みんな裸で歩いてる。
嗚呼、俺だってひとり裸で歩いていけんだぜ。
頬をつたう涙は、今を実感できる生きてる証。
いろんな出会いに感謝してもしきれないが。
みんな、裸で歩いてんだぜ。