• 1988年5月29日

    フランクフルトまでの空の旅、心の中は新しい生活に対する希望なんてなく、不安で一杯だった。デュッセルドルフまでの車中でも、窓越しに移り変わるラインの流れや丘の上に点在する古城に目移りすることなく、ずっと不安を押さえ込むのに必死だったのだ。
    ダンボール箱2個ぶんのカセットテープと、画材が入ったもう一箱をカートで引き、肩からさげたスポーツバックと背中のリュックの重さを踏みしめる石畳に感じつつ、新居まで歩いた。アパートが近づいてくるほどに不安は大きくなっていく。
    「誰の出迎えもなく、たった一人でやってきたよ」
    そう独り言が口をついた時、目指すアパートの前だった。Schumann strasse.69番地。僕がこれから住むところ。

    屋根裏部屋の斜めになった窓を開けて、ずっと外を見ていた。荷物をほっぽりだしたまま、黄昏ていく空を見ていた。この部屋に入るのは初めてではない。5ヶ月前までKという日本人の友人が住んでいた。この部屋は彼が帰国する時に、大家にたのんで空けておいてもらったのだが、僕は彼が帰国する3ヶ月前、1987年の秋にこの部屋に来たことがあった。
    彼は変った奴だった。著名な画廊から企画展の誘いがあっても「僕なんてまだまだだから・・・」と断り、ドイツという土地に住んで制作してみたいからと、簡単にドイツに旅だった。そして、作品資料を持って画廊を巡るでもなく、美術学校に行くでもなく、孤独に屋根裏部屋で絵を描いていた。山登りが好きで、帰国後も日本アルプスが見える小さな町のはずれに丸太小屋を自力で建てて住んでいる。
    僕のドイツ滞在の初期には、彼のここでの暮らしを思うことが大きな励みになったと思う。考えることが孤独を望み、孤独であることが描くことへと向かわせた彼の生活を思う時、僕が抱いていた不安は、いつのまにか消え去っていた。
    出迎えなんていらない。望むことではなく、感謝することだ。見送ってくれた人達を想った。彼が住んでいたこの空間に、彼の魂を想った。
    彼は毎晩、月を描いていた。彼が毎晩そうして眺めたであろう窓から月が見えていた。僕は、ダンボール箱を急いで開けて画材を取りだし、机の前に並べた。そして、壁塗りのために下に敷いてあった紙を破いて絵を描きだした。この国で初めて描く絵を。

    その画面に、ある決意を込めて文字を刻んだ。

    THANK YOU FOR EVERYBODY IN JAPAN.
    NOW IS THE TIME TO FLY TO ANOTHER LAND.
    I WILL TRY TO DO MY BEST!